若手精神科医の覚書

若手から中堅の精神科医が、精神科初学者の学習に向いた本の紹介をしています。

まさにタイトル通り、精神療法家はどう考えているのか ★新版 精神療法家の仕事

成田善弘先生

・新版 精神療法家の仕事

タイトルは無骨な雰囲気を醸し出しています。この本は精神療法家が「どう考え、何をしているのか」事細かに記載している本です。

私は初めて読んだとき、「こんなに色々なことを考えながら臨床をしているのか?」と感銘を受けた記憶があります。

特に印象に残っている内容は、「白状」してしまうという内容についてである。

 

簡単に要約してみる。

とあるセラピストが境界例の女性の診療を行う。患者は「見捨てられ」不安のままにセラピストに対してどんどん要求し、セラピストも呼応するように何とか対応に努める。当然、セラピストの努力が患者の「見捨てられ」感を満たしきることはできず、成田先生に相談するのである。

「本当はこの患者のことが重荷になっている。今の治療のやり方が望ましいものとも思っていない。しかしもし私が重荷だと言ったら、この患者が見捨てられたと思ってどういう行動にでるかわからないし、治療を中断してしまうかもしれない。この患者はそういうことを繰り返しているので、またここで繰り返させたくない。だからといって、重荷ではないなどと本心でないことを言ってもこの患者には容易に見透かされてしまうだろう。だからどう答えてよいかわからない」

と。

この感覚、感情は、真摯に患者と向き合った医療者であれば、何度も経験しているものではないだろうか?怒り、悲しみといった感情にさいなまれ、患者との関係性が破綻してしまう。治療者としての無力感に襲われてしまう。どのように対応すればよいかわからない恐怖感すら覚えるだろう。

ここで、成田先生は「白状」してしまうように助言をした。セラピストの根底に、患者のために立ちたいという気持ちがあったからだそうだ。ここから、このセラピストと患者の関係は変化していったとのことである。

 

この「限界」の告白は私自身も診療中に時折利用させていただくことがある。医者は専門家ではあるが、あくまで一人の人間である。絶対的な存在ではない。

また、患者との関係性も、診察室内においての医師-患者関係であり、それ以上でも以下でもない。患者の持つ「困ったこと」を、少し専門的な知識を持つ精神科医が一緒に試行錯誤しながら「困らずに済むこと」に昇華できるような共同作業を行うのが精神科診療であろう。

精神療法家とは恐れ多くも言えない私ではあるが、精神科医として仕事をする上で必要な知識をこの本から学ばせてもらった。